2012年5月16日 (水)

映画「究竟(くっきょう)の地―岩崎鬼剣舞の一年」(2)

S20120118pict0003 岩崎鬼剣舞より「一人加護」の踊り

この映画は「岩崎鬼剣舞の一年」というサブタイトルがついている。

監督の三宅流氏は当初は「東北学と身体」というテーマで企画したそうだが、岩崎の人々と地域、子どもたちの鬼剣舞への熱心な取り組み、農作業など日常の労働の身体を撮影していくうちに初めの構想が変ってしまった。

北上市の彼らの地域に住みこみ、一年間、彼らの生活と密着しながら撮影を行い、「鬼剣舞を軸とした共同体としての地域」に焦点が当たっていったようだ。(ゲストトークでもこのようことを語っていた)

この作品は2008年に完成し、山形国際ドキュメンタリー映画祭などで好評を博した。

2011年3月11日、東日本大震災。その状況の中で、東北の各コミュニティーがもっている絆の強さを、この映画には潜在的に持っているので、東北地方の方々にまず見てほしいと、花巻市、宮古市、仙台市、田沢湖町などに巡回上映をしてきた。

今年になって、東京で上映されている。(今後、西日本でも上映予定らしい)

私はこの映画を民俗芸能のファンだけでなく、たくさんの方々に見てほしいと思う。地域社会が芸能を通じて絆を深めている姿、世代を超えたコミュニケーションのあり方など、私たちが見失ってきたものをこの映画から発見できるからだ。

2012年5月15日 (火)

映画「究竟(くっきょう)の地―岩崎鬼剣舞の一年」(1)

S20120118pict0001_2  岩崎鬼剣舞の「一人加護」の踊り

511日「オーディトリウム渋谷」の限定モーニングショーでこの映画を見た。

この日は最終日だったから?終了後に監督の三宅流さんのゲストトークもあった。

私は日本にある多くの民俗芸能の中でも、「鬼剣舞」が一番すきな踊りだ。

身体全身の軸から動く振りは腰や脚、腕、首に流れ込む型がなんとも素晴らしい。

私は、もう十数年前になるが、この鬼剣舞と宮沢賢治の詩「原体剣舞連」に心を動かされて舞踊作品を創った。

【 dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah  こよい異装のげん月のした 

  鶏の黒尾を頭巾にかざり 片刃の太刀をひらめかす 原体村の舞手たちよ

  ・・・・・

最後に

打つも果てるもひとつのいのち  dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah 】

「岩崎鬼剣舞」映画の中の稽古では「デンツク デンツク・・・・・」という口唱歌だが、実演している時には太鼓と笛とチャッパのお囃子だけで踊っている。

げん月の光の中に見る「鬼剣舞」は、宮沢賢治にとって「dah-dah-・・・・・・」と聞えたのだろう。

なにかとてもわかる気がする。

S20120118_040 私の「原体剣舞連」の踊り

2012年4月22日 (日)

◆ 天城峠から八丁池までのハイキング

S20120118_026 ブナとヒメシャラ

S20120118_030 ヒメシャラの大木に抱きつく友だち

前日、伊豆天城温泉の「禅の湯」で一泊して、慈眼院の前から始発(856分)のバスに乗り、天城峠へ向かった。

バスから見る山々は所々にヤマザクラが咲いて、ほんのり春の山だった。

八丁池までは昼食も含めて4時間以上も歩いた。山道の両側はヒメシャラとブナの林。

両方ともまだ芽吹いていない冬山の感じだった。

ブナの森にこんなにヒメシャラが共生しているのは、箱根や伊豆の山だからかもしれない。

長野の山には、ヒメシャラはほとんどない。

S20120118_033 展望台から見た八丁池

 

本にあるコースタイムより私たち(女性2人)ははるかにオーバーしてしまい、帰りの「水生地下」バス停まで走るように下山した。やっと最終バスの1657分に乗ることができた。

もし、乗れなかったら、ヒッチハイクしかない。60歳過ぎのおばさんが車を止められるかな?

木曜日とあって、ほとんど人と遭わなかった。

2012年4月21日 (土)

◆ 春の城ヶ崎海岸へ ~ 静かな海だった ~

S20120118_004

桜通りはソメイヨシノと八重桜が咲いていた

伊豆急「城ヶ崎海岸」駅を下車して、桜通りを25分歩くと、門脇灯台に出る。

水曜日なのに、たくさんの人がいた。

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静かな海だった

門脇吊り橋を渡り、静かな海を見ながら、ごつごつした岩場でお昼をとった。

それから、ピクニカルコースの一部を歩いた。

S20120118_014

門脇吊り橋 長さ48m

吊り橋から伊豆海洋公園まで。

道は土でもない、コンクリートでもない歩きやすい地面だった。

海洋公園で「伊豆四季の花公園」(入場料500円)に入った。

S20120118_019

「花公園」海をバックに満開の花(名前?)

見応えがある、花公園だった。バックに海があることが花をひきただせている。

2012年4月17日 (火)

◆ ブータン旅行記(9)~ 最後に、なぜ幸せな国と言っているの ~ 

S20120118pict0013_2 行きの飛行機からかすかに見えるヒマラヤ山脈

S20120118pict0020 同室の瀬戸岡さんと

【国民の97%が「幸福」と回答するブータンとは】

もう30年以上も前から、GDP(国民総生産)の成長をめざすことでなく、GNH(グロス・ナショナル・ハピネス)すなわち[国民総幸福]をめざすことを国王みずから決意し、それを国是として憲法にうたい、政治・行政の中で実践している。

 

北に中国、南にインドという大国・強国に囲まれた国で、半世紀前までは鎖国同然であった。近隣のチベットやネパールが大国にゆさぶられたり、国内が混乱したりするのを反面教師とし、国の平和と安定をはかることを目的にした。

国土の72%が山林でその山林面積は憲法で60%以下にしてはならないと定めている。

P4062746 お祭にいる人はみんなゴとキラをきている

ブータン様式の独特の木造建築がほとんどである。公式の場では男性は「ゴ」、女性は「キラ」の民族衣装を必ず身につけ、小中高生の通学服もそれに準じている。

P4042106 メモリアル・チョルテン(?)

P4042113 祈る人 ブータン式五体投地

 

仏教の価値観を共通のベースにして、家庭、職場、学校でこれを意識的に心がけて、家庭の崩壊を防ぎ、社会で高齢者をいたわり、互いに助け合っていこうという考え方が基礎にある。

憲法には、国王の定年は「65歳」、「基本的人権」として言論の自由、思想の自由、選挙権など、そして「民主主義」「環境権」などがうたわれている。

 

ヒマラヤの小国であるブータンという国は、なんと大きなモラルを掲げ国つくりをしているのであろうと感銘をうけた。

今、地球全体が核の危機や環境の危機にさらされ、戦争で住みかを追われ、餓死寸前の人々がいる。北朝鮮のように専制君主政治で国民が餓死同然のような状況になっているところもある。

グローバル化が進む世界の中でブータンの行く末がどのようになっていくのか、投げかけてくれるヒントはとても大きいと思う。また、期待している。

 

たった7日間の旅であったが、ブータンという国へ行って良かった!

その感覚は私の中で、長い時間をかけて、しみじみとわかっていくのだろうと思った。    

     ― おわり ―

 

◆ ブータン旅行記(8)~ その他いくつか箇条書きで ~

 

ツアーという形だが、ブータンを旅行して、まだまだ多くのことを書きたいと思ったが、その他いくつかの記録を箇条書きにする

 

○ブータンの人たちの食事は、 野菜中心で主にご飯を食べる。おかずはトウガラシをチーズと一緒に煮たもの。

このおかずが超辛いにで(私たちにとっては)、いくらでもご飯を食べられる。

牛肉、豚肉、鶏肉はほとんど食べない。ブータンでは飼育していないで、ほとんどインドから輸入している。

○道端や公園、寺院のそこら中に犬がいる。犬は放し飼いにされているので、昼間は寝そべっているか、ふらふらと歩いている。ブータンの人たちは、みんなで飼っている、と言っていた。

P4032012_2 道端でもごろ寝している犬

P4062526 お祭でもゆったり寝ている犬


しかし、夜になるとよく吠えている。(犬はオオカミのように夜行性の動物だからかな?)

○軍隊はくじ引きで入ることができる。

○信号は一つもない。交通の多いところは、警察官が両手で交通整理をしている。

○車を買うときは、新車でないと許可されない。

○ティンプーもパロも現在、建設ラッシュだった。農村から都会に出て行く人がどんどん増えている。

JICAから西岡京治さんが農業技術の指導に派遣された。

 稲作技術、野菜の栽培などの導入に力を尽くした。1992年に亡くなるまでブータンに留まった。ブータンの人たちからは、西岡という名前より、ジャパン・サハ(日本の先生)と呼ばれて感謝されている。

○チベットからヒマラヤを越えてフォブジカ谷へ飛来してくるオグロヅルのために、「送電線が、越冬するツルの邪魔になる」と考え、電化を拒否した。09年からオーストリア政府の援助で配電線の地下化が進められている。

    ― つづき ―

 

2012年4月16日 (月)

◆ ブータン旅行記(7) ~ 仏教国と言われている国・僧侶学校を見学した ~

S20120118pict0047 外からみた僧侶の学校

3日目、ティンプーにある、国立僧侶の学校デチェンポダンに行った。

外から見ると立派な建物だが、中に入ると質素な教室がいくつもあった。この学校は修行の段階によって教室が異なる。(だから、小さい子も大きい子もいる)4歳から希望があれば誰でも入学することができる。

S20120118pict0048 それぞれが自分のお経を暗唱している

私たちがはじめに入った教室は6歳ぐらいの子から12歳ぐらいの大きい子もいた。長机に座りこんで、それぞれのお経を声に出して、暗唱していた。一人ひとりが大きい声なので30人ぐらいの部屋は、張り合う声でわれんばかりになった。

「お経」は本ではなく、横長の紙にサンスクリット語で書かれている。

S20120118pict0051

私はお経を見せてもらうために近づいたら、すると、ニコニコして答えてくれた。本当にかわいらしく、あどけない姿だ。

この教室は板の間で、子どもたちはここで生活もしている。壁側にひとりづつの小さなつづら(ケース)があり、着替えや生活用品はすべてこの中にある。スポンジ風のふとんもあった。

S20120118pict0054 P4040438

 

ブータン国民はその大部分が敬虔な仏教徒で、生活のあらゆる領域で伝統を重んじ、仏教を中心にした暮らしを尊んでいる。しかし、宗教は自由。仏教の他にヒンズー教、ほんの少しだがイスラム教、キリスト教の人もいるそうだ。

 

ブータンのお坊さんは基本的には結婚をしない。そして、殺生してはいけないので、牛、豚、鳥肉は食べない。

 

私たちが学校を出る時、かわいらしい修行僧たちが、窓から手を振ってくれた。

 

      ― つづく ―

2012年4月15日 (日)

◆ ブータン旅行記(6) ~ 国王の政庁タシチョ・ゾンを訪れる ~

S20120118imgp0835 国王の政庁タシチョ・ゾン

首都ティンプーにある国王の政庁タシチョ・ゾンは、政庁兼寺院となっている。

主に国王が仕事をする場になっているので、入館できるのは、仕事が終わった5時ごろから630分ごろだ。私たち観光客もブータンの礼拝者もこの時間にしか入れない。

服装は、襟付きのシャツ、短パンやタンクトップなどの肌露出の多いものは不可。もちろん帽子、フード、サンダルもダメ。ブータンの人はゴ、キラの正装が義務付けられている。

入口には、警備の人が何人もいて、バックの中まで見られる。

P4032075 P4032083 

敷地内の中庭と片側の建物(寺院)だけ見学ができた。この建物(寺院)は現在の国王の即位式を行ったところだ。中庭から見た、政庁関連の施設は窓や壁などの装飾も立派だった。

外へ出ると、もう暗くなっていて、建物がライトアップされて美しかった。

 S20120118pict0041_3 ライトアップされた タシチョ・ゾン

また、少し離れたところに国会議事堂がある。2008年に王政そのものを廃止し、議会制民主主義の政治となったが、現在も国王への尊敬と期待がとても強い。現在は第5代目の国王で、昨年、王妃と共に日本を訪れ、東北の被災地にも足を運んでいただいた。

すぐ、近くに国王の住んでいるところがある。そんなに広い敷地ではなく、ちょっとした豪邸があるという感じだった。

「第4代国王も、質素な生活をしていますよ」とガイドのシンゲさんが言っていた。

 

      ― つづく ―

 

 

2012年4月14日 (土)

◆ ブータン旅行記(5)~ ホームステイを2泊して、キラを着てみる ~

P4052432_2  S20120118pict0101_2

立派な民家             入口でガイドのシンゲさん

私たちツアーは、ブータンでの最後の2泊はホームステイだった。

ツアーメンバー10人プラス添乗員、ガイドで計13人が泊まれるほどの大きさで、釘一本も使わずに建てた伝統的な民家だった。滞在中は立派な仏間を拝見したり、家庭料理を食べることができた。

S20120118pict0103_2 豪華な仏間

ここのご主人は、この村の村長をしているので、パロのお祭でのお仕事で忙しくしていた。お祭の最終日には、トンドルのご開帳があるので、真夜中の2時ごろ家を出て行った。

 

ご主人がもと僧侶だったので、特に仏間は立派だった。礼拝する部屋と仏壇のある部屋が別になっているくらいだ。

P4052435_2 この石を浴そうに入れる

珍しい石焼風呂も体験することができた。午後3時ごろからたくさんの石の下に火をくべて石を熱くする。木の浴そうの4分の1位のところに熱い石を入れ、お湯をわかす。ぬるくなったら、熱い石を増量する。

S20120118pict0102_3 キラを着せてもらった私

また、ホームステイー先のファミリーの民族衣装、ゴ(男性用)、キラ(女性用)を試着させてもらった。日本の着物を上下切って、セパレーツにしている感じだ。

 

2日目の夜は、近所の奥さん方、5,6人が訪問してくれ、唄や踊りを見せてくれた。心の奥に響くようないい声だった。和やかな楽しい最後の晩でした。

    ― つづく ―


 

2012年4月13日 (金)

◆ ブータン旅行記(4) ~聖地・タクツァン僧院までのトレッキングはきつかった!~

 P4052327 タクツァン僧院は切り立った岩場にある

タクツァン僧院は標高3,000mの切り立った岩場にある。

この旅で私が一番心配していたのは「3000mでは高山病の症状が出て、登れないのではないか」ということだった。

タクツァン僧院には、息が苦しかったが、結果として登ることができた。!!

タクツァン僧院について

垂直に切り立った断崖絶壁に建ったタクツァン僧院は、ブータン人にとって大切な聖地である。チベット仏教を伝えた聖者グル・リンポチェが虎にまたがり舞い降りたという伝説からタクツァン(虎のねぐら)という名がついた。グル・リンポチェは今なおブータンの人の篤い信仰の対象となっており、彼が瞑想したと伝わる洞窟も僧院内部に残っている。

P4052260  P4052292

 

朝、8時にホテルを出発して、30分ぐらいバスに乗り、山の麓の駐車場に着く。そこから、登りは始める。ザックの中は、雨具や防寒用具、水だけなのに重たい。一歩登るごとに息が苦しい。「低酸素トレーニング」で言われたように、なが~く息を吐いて、こまめに水を飲んだ。

やっと第一展望台に着いた。ここからは、遠く高いところにタクツァン僧院が見えるのだ。

見えるから、あきらめないで、ただただゆっくり登った。私たちは10人のグループだが、誰かに合わせることをしないで、自分のペースで登った。添乗員の宮内さんか、ガイド助手のツェツェンが最後尾にいてくれるので安心できた。

 

第二展望台には、コーヒーや紅茶のサービスがあり、美味しいビスケットも用意されていた。(帰りは午後2時ごろ、ここで昼食をとった)

 

あと一つ谷を下り、次に上ったところがタクツァン僧院だが、深い谷の途中に滝もある。運動会の万国旗やクリスマスツリーのようにダル(タルチョ=お経を書いた布)がはためいていた。

「こんなに谷を下るのでは、帰りに上るのが大変だ」と思いながら下った。その後の僧院まではまた苦しかった!!

P4052311  P4052348

僧院に入る時は、持ち物を全部預ける。そして、服装がきちんとしているか、帽子やサングラスは付けていないかなど調べられる。ガイドの2人も、登りは暑かったので、Tシャツになっていたが、ゴをきちんと着て、ショールのようなものを肩から下げた。(正式なスタイル)

洞窟に入る時は、靴も脱いだ。虎に乗ったグル・リンポチェの像や絵があり、その前で信者の人々が礼拝していた。(五体投地とは少し違うおじぎの仕方で)

日本では、仏像や壁画の作者や歴史遺産の説明があるが、ブータンでは、ここが修行の場で礼拝の対象としてあることがわかった。

 

登る時はあんなに苦しかったのに、下りは楽々。時々上りがあると、とたんに息が苦しくなる。行きにビスケットを食べたところで、昼食をとった。

P4052407 シャクナゲの赤が光っていた

帰りは、真っ赤なシャクナゲがたくさん咲いているのを余裕も持って見ることができた。

        ー つづく ―

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