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2012年9月

2012年9月30日 (日)

◆ベトナム旅行・ホーチミン市【クチトンネル・クチの人民の堅固な抵抗の記録】

クチトンネルはクチ県の人民が堅固に抵抗した場所である。

戦争中に様々な戦略に対応したところで、このトンネルはベトナム戦争に勝利をもたらした要因の一つとして知られている。

現在のトンネル遺跡はホーチミン市のセンターから西北70km離れる二つの区域まで保存されている。

米兵の攻撃にいかに抵抗するか市民の様々な知恵がよくわかる。

米兵は近代的な、戦車、戦闘機、爆弾などであるが、クチ市民はジャングルの中で、落とし穴、穴に落ちた瞬間ヤリで刺すなどの攻撃の仕方を考えた。

S20120118pict0032 ベトナム人しか入れない小さな穴           

地下に潜っても、入口が狭いので、ベトナム人は入れるが、米兵は肩幅もお尻も大きいので潜れない。あっちこっちに潜り込む穴があり、入ったら、すぐに、枯葉などで地面に蓋をするようにできている。また、地下は酸素が必要なので、地上にわからないように、空気穴がある。

S20120118pict0038_2 小さな空気とり入れ穴

地下には、食糧、軍服を作るところなど作業ができるスペースも作られていた。

S20120118pict0045_2 タイヤからサンダルを作っている

タイヤを利用して、ゴムぞうりも作った。日本にもホーチミンサンダルとして、広まったこともある。

2012年9月28日 (金)

◆ベトナム旅行・ホーチミン市【ベトナム戦争の記録・戦争証跡博物館】

ベトナム戦争の歴史を、実際に使用された戦車や大砲、爆弾などの戦争遺物、写真などの展示がある博物館。

S20120118pict0002 ナパーム弾、枯葉剤などの被災者の写真

目を覆いたくなるような凄惨なパネルや、枯葉剤による被害状況の記録、ホルマリン漬けの奇形胎児などの展示は、戦争の傷痕を生々しく証明している。

S20120118pict0001 アメリカ軍の戦闘機

屋外には、ベトナム戦争で使用された戦闘機や戦車、爆弾が展示されている。

私は学生時代に「ベトナム戦争反対!」、「アメリカが日本の基地を使ってベトナムを攻撃していたことに反対」のデモに行ったことを思いだした。

枯葉剤のため同体にされたベトちゃんドクちゃんの日本での手術の記事はまだそんなに昔のことではない。

S20120118pict0003 この写真は故沢田教一氏がピュリッツアー賞を受賞した作品 私が若い頃新聞で見たことがある。

あらためて、戦争の愚かさを思い知らされた。

2012年9月27日 (木)

◆ベトナム旅行・ホーチミン市【サイゴン大教会、中央郵便局】

サイゴン大教会は19世紀末、フランス統治下の時に建てられ美しい教会。

天を突くような二つの赤い塔が印象的だ。

S20120118pict0018 S20120118pict0017

正式名称は聖マリア教会という。この日は日曜日だったので、教会の中はミサに集まる人々でいっぱいだった。

ベトナムは、80%が仏教、キリスト教はわずか8%、あとはイスラム教、ヒンズー教の人が少しいるそうだ。

中央郵便局も19世紀末のフランス統治時代に建てられ、建築文化財としても貴重なものだ。

S20120118pict0020 中央郵便局正面から

中に入るとドーム型になっており、周りが郵便局の窓口になっており、中央はおみやげ物売り場になっている。

1階の窓と窓の間にある白い飾りの下にはフランス人名前が刻まれている。

◆ベトナム旅行・ホーチミン市【メコン川クルーズ】

ホーチミンの市街地から70キロ(バスで2時間)離れた所から船に乗る。

S20120118pict0004 少し大きな船で、案内のガイドさん

はじめに乗った船は20人位乗れる、やや大きい船で、果樹園のある島に着き、フルーツの試食やキャラメル作業所、蜂蜜精製所などを見学。

途中、小さな舟(お客が4人で漕ぐ人2人)に乗り、スコールのジャングルの中を川下りした。川巾が4mぐらいしかないので、次から次へと上ってくる舟とのすれ違いが大変、どちらかの舟が沈むかも知れないと思うほどスリルがあった。

広いメコン川に出てから、再び少し大きい船で岸へ。

昼食はメコン川名物のエレファントフィッシュを食べた。

S20120118pict0011 向こう岸ははるか遠く

メコン川は大きい川で向こう岸ははるか遠かった。

2012年9月26日 (水)

◆ベトナム旅行・ホーチミン市【解放後、サイゴンからホーチミン市へ】

S20120118pict0005 S20120118pict0006

ホーチミン市は、ベトナム戦争が終結された1975年まで「サイゴン」と呼ばれていた、ベトナム最大の商業都市。解放戦線の中心的指導者・ホーチミンの名をとって付けられた都市。公園や大きな建物には必ず「ホーチミン」の像か肖像画がある。

気温は1年中30度以上で、9、10、11月は雨季である。私たちもほとんど毎日、雨にあった。

特に、メコン川クルーズで、小さい舟で川を下る時、スコールに遭ってしまった。

メコン川の恵みもらい南国特有のフルーツや野菜が沢山獲れる。

スイカ、ドリアン、ライチ、ヤシ、ドラゴンフルーツ、マンゴウ、パパイヤ、バナナ、ブドウの種類、メロン、ウリの種類、パイナップル・・・・など、沖縄で見たことのあるようなフルーツが沢山あった。

珍しかったのは、カキと同じようなものがあった。(食べたら柿だった)

S20120118pict0015

一番印象に残るのは、道路に一日中、バイクが行きかっている。個人では、ほとんど車を持っていない。会社や観光では使うが。

バイクは平均一人2台あるそうだ。日本車が人気で、でホンダ、ミツビシ・・・など。バイクに乗るには、免許はいらない(自転車感覚で)。大人2人子ども3人までは乗れる。本当に5人で乗っていた人たちもいた。なんと頼もしい。バイクどうしや車との間もすれすれで走っている。交通事故が起きないのが不思議なくらいだが、やはり頻繁に起きているらしい。それに、排気ガスがひどいので、多くの人はほとんどマスクをしている。(日本のように白でなく柄物のマスク)

2012年9月21日 (金)

◆石川県加賀市・硲美術館へ行く

加賀にいる私の友人の紹介で硲美術館の館長・硲紘一さんと運営委員長の海部公子さんにお会いすることができた。
S20120118pict0004 美術館で、友人、海部さん、硲さん、私

硲美術館は古九谷ゆかりの地、石川県加賀市大聖寺付近で古九谷窯跡の近くである。
古九谷五色の調和に共鳴した硲伊之助はここを永住の地と定め東京から移住し、築窯。没するまで制作を続けた。
硲紘一さんと海部さんとは話が弾み、3時間もあっという間に過ぎてしまった。
井上ひさしの奥さんのゆりちゃんなど、共通の知り合いがとても多くいたことに驚いた。

硲美術館HP
http://www.asahi-net.or.jp/~jm8s-hre/hazama/HAZAMA.GIF

2012年9月20日 (木)

◆フリーダムコンサートin戸隠 に参加

S20120118pict0001  フリーダムのメンバー

戸隠にある知り合いの旅館「歌声音楽ロッジ・アコールデ」に宿泊を予約したら、この日は「フリーダムコンサート」付きの宿泊料金だった。

どんなコンサートかわからないが、参加してみた。

夕食後730分から開始。

「あざみのうた」「いとしごよ」「うどんやのむすめ」・・・など、ボーカルの原田義雄さんの作曲した歌が多い。「夢を語るのに遅すぎることはない・・・」は歳をとってきた私にもジーンときた。

彼らは岡山の蒜高原から来ている。関西、岡山あたりで活動をしている音楽グループだ。

翌日は松本でのコンサートに招かれている

ボーカルの原田さんは盲目であるが、作詞、作曲、ギターもなんでもこなせる。歌う声も魅力的だった。

S20120118pict0002 歌声音楽ロッジの主人

コンサートが終わってから、このロッジの主のアコ―ディオンの演奏を聴くことができた。

その後、夜遅くまで、飲みながら、話が弾んだ。

2012年9月19日 (水)

◆作品と踊る―ダンス・松村智恵子in中之沢美術館(群馬県前橋市)

S20120118pict0001 美術館の前にある作品のところで

群馬県中之沢美術館へ《森の中で出会う展×DANCE》を見に行った。

中之沢美術館は赤城山の麓にあり、東京の狛江から5時間もかかり、やっと着いた。(途中、渋滞もあり)

森の中にあるこじんまりした、素敵な美術館。

今回の美術作品を出品している作家は8名ぐらいで、その作品のそばで松村さんは踊った。

まずは、館の外にある作品の前からスタートして、館の中に進む。

 S20120118pict0007 S20120118pict0003_2

ひとつ一つの作品からのイメージをダンスにして、彼女の身体は、時には柔らかく、時には力強く、メリハリのあるダンスであった。60分間もあっという間に過ぎてしまったほどだ。

2012年9月15日 (土)

◆ 駅前で津軽三味線に誘われて、踊る

S20120118pict0001

ちょっとほろ酔いかげんで、狛江駅を通りかかったら、
津軽三味線を演奏していたので、立ち止り、聴き入ってします。
なんだか踊りたくなって、許可を得て、その場で踊ってしまった。
S20120118pict0002  S20120118pict0003
津軽じょんがらのような曲で
あとで、彼の名前を聞いたら、「摩郎」さんとおしえていただいた。

2012年9月 5日 (水)

◆ 東日本大震災被災地を巡る鎮魂と再生への祈りの旅(7)~宮沢賢治記念館~

今回の祈りの旅の最後の日程は「宮沢賢治記念館」の見学だ。

私は以前にも来館した記憶があるが、新しくなったのか、初めて入るような気がした。

たった1時間の見学時間もあっという間に過ぎてしまうほど賢治についての魅力が満載している、まだまだここにいたかった。

この館のパンフレットから

「宮沢賢治の深遠な思想と、詩や童話、教育や農業などの理解は容易ではない。本館は環境・信仰・科学・芸術・農村・総合・資料などの展示からなり、視覚的に宮沢賢治の全体像に近づこうと試みた。~中略~まことの道、い―ハートヴの世界を、あなた自身で感じとっていただきたい。」とある。

S20120118pict0040 宮沢賢治記念館の入り口

私は宮沢賢治の作品が好きだ。

数年前に「原体剣舞連」を舞踊作品にしたことがある。

この館の一番奥にその資料と原体村の「剣舞い」の映像があった。

「ダーダーダーダーダースコーダーダー こよい異装のげん月のした 鶏の黒尾を頭巾にかざり 片刃の太刀をひらめかす 原体村の舞手たちよ・・・・・・・」と始まり長い詩になっている。

本当に鶏の黒尾を抜き、頭巾の頭にかざっていた。

げん月のした、かがり火を焚いて激しく踊る光景を見て、賢治はあの「原体剣舞連」の言葉を生み出したのだろう。私は資料と映像に見入った。

受付で「あの映像ビデオ」があったら買いたいのですが、と尋ねたら、「売り物にはありません」と言われてしまった。残念!

S20120118_040 私の舞踊作品「原体剣舞連」より

もうひとつ、もう20年ぐらい前に「おしらさま」を舞踊作品にしたこともあった。

 

「東日本大震災被災地を巡る鎮魂と再生への祈りの旅」の終着点は「新花巻駅」。ここで、解散して新幹線「やまびこ号」に乗り、東京に向かった。

 

  おわり

 

2012年9月 4日 (火)

◆ 東日本大震災被災地を巡る鎮魂と再生への祈りの旅(6)~遠野物語研究所~

岩手県遠野市中央通りに「遠野物語研究所」がある。この研究所の所長さんにお話しをしていただいた。

 S20120118pict0039 研究所長の高柳俊郎さん

この研究所は日本民俗学の創始者である、柳田国男の『遠野物語』を中心とした歴史・民俗の調査研究を深め、さらに市民文化と普及継承するために設立した。

吉里吉里、南部藩、明治29年の津波、山田町、土淵、大槌町のこと、そして宮沢賢治のことまで、話が及んだ。

遠野物語の中には民話として「ざしきわらし」「おしらさま」「かっぱぶち」「サムトの婆」「マヨイガ」・・・など怖いお話、不思議なお話、妖怪が出てくるお話などがある。

ここの研究所では、「市民のサロンとしての研究活動」「遠野物語ゼミナールの開催」「昔話教室」などを催している。

  つづく

2012年9月 3日 (月)

◆ 東日本大震災被災地を巡る鎮魂と再生への祈りの旅(5)~大槌町・吉田律子さんのお話~

大槌町は町役場がすべて流され、町長さんもいなくなってしまった。仮設住宅の方たちの岩手県大槌町第9仮設住宅を訪問し、10人位の方々と交流をした。

想いがなかなか行政に反映できないいらだちがよくわかる。

夜、宿舎に吉田律子さんが来てくださり、貴重なお話を聞くことができた

 サンガ岩手代表・吉田律子さん

吉田律子さんのお話

大槌町で生き残った人はすべて遺族となった。時間がたてばたつほど悲しみが深まる。

ほとんどの人たちは、海の幸を生業として生きている。今回の震災は、私たち人間も自然の一部である、それを忘れてはいけないという警鐘を鳴らしていると思った。

大槌は大地震、津波、その後すぐ大火事が起こった。

遺体の損傷が激しかった。身長、男女、着ているものなどを手掛かりにしたが、よくわからない人の方が多かった。これほどの死の現場を見たことがない。「お経の一かんでもあげてほしい」と頼まれた。

傾聴をしながら、マフラー、薬入れ、メガネ入れ、クッション、などの手芸的なことを行い、バザーなど復興支援として販売するセンターをつくり、サンガ岩手や手作り工房カフェなど企画し行っている。

 

私たちは、次の日(27日)大槌町にある「手作り工房カフェ」により、コーヒ―を飲んだり、沢山の手芸品(復興応援商品)などの買い物をした。

2012年9月 2日 (日)

◆東日本大震災被災地を巡る鎮魂と再生への祈りの旅(4)~森脇昭さんのお話~

宮脇昭さんは地球環境戦略研究機関国際生態学という長い機関のセンター長である。

なぜ今、木を植える必要があるのか。日本の大震災はもとより、世界の環境危機にある現在、人類を救えるのは森である。この不幸な危機をチャンスにして、9,000年持つ森をつくろうと提案している。

これまでも、森によって津波から守った、もしくは被害を少なく食い止めた例がたくさんある。

その土地にあった、その土地に必要な木を植えよう。日本各地の現地調査を行った結果、広葉常緑樹のタブノキがいいのではないかと言っていた。

「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」「いのちを守る300キロの森づくり」を提唱している。

畠山さん、宮脇さんのそれぞれのお話の後、2人の対談があった。

とても、有意義な話を聞くことができた講演会だった。

S20120118pict0023_2 畠山重篤さんと宮脇昭さんの対談

   

2012年9月 1日 (土)

◆ 東日本大震災被災地を巡る鎮魂と再生への祈りの旅(3)~講演「森づくりにかける志」畠山重篤さんのお話~

主催「志ネットワーク青年塾 海べに森をつくろう会」13時~ 気仙沼ホテル観洋

以前の私のブログに登場してもらった畠山重篤さんのお話を聞くことができた。

S20120118pict0025 ラッキーなことに、気仙沼被災地商店街で畠山さんにお会いできたので、私とツーショットで。

畠山さんは牡蠣養殖業を営む。豊かな海を取り戻すために、漁民による広葉樹の植林活動「森は海の恋人」運動を続けている。

2012年「フォレスト・ヒーロー」受賞(漁師がなぜ森のヒーローなのか?ともめたらしい)他に数多くの受賞と著書多数。

長靴を履いた魚師の視点から、海や、森、川の状態、そして地球環境について、語った。

森に木を植えることは人の心に木を植えることと同じ、環境問題は、結局は個人の生き方の問題だと話していた。

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